ビジネス小説『イベント担当になりまして。』〜名もなき担当者が、日本最大の舞台をつくるまで
第2話 消えた会場と、50本の電話
突然、会社のイベント担当を任された、ごく普通の会社員・相原美咲。
経験もノウハウもないまま、Excel、メール、電話を頼りに準備を始めますが、会場予約の期限切れ、増え続ける修正、関係者との認識違い、そして本番直前のトラブル――。イベントの規模が大きくなるほど、彼女の前には新たな課題が立ちはだかります。
30人の小さな歓迎会から、日本最大級のコーポレートイベントへ。
『イベント担当になりまして。』は、一人の会社員がイベントとともに成長していく姿を描く、BizMICEの連載ビジネス小説です。
※本作品はフィクションです。登場する人物、企業、団体および出来事は架空のものであり、実在するものとは関係ありません。
前回までのあらすじ
中堅メーカーの総務部で働く相原美咲、29歳。
ある日、突然、新入社員歓迎会の担当を命じられた。前年の資料を頼りに準備を始めたものの、共有フォルダには複数の「最新版」が存在し、必要な情報はExcel、メール、社内チャットに散らばっていた。
そして美咲は、会場から届いたメールに書かれていた仮予約期限を見落としてしまう。
歓迎会まで、あと3週間。
参加者は50人。社長も出席する。
しかし、会場はなくなった。
検索結果、1,280万件
「歓迎会 会場 東京 50人」
美咲は震える指で検索ボタンを押した。
画面上部に表示された検索結果は、約1,280万件。
多すぎる。
検索結果の一番上に出てきた会場を開く。写真には、シャンデリアの輝く広間と、きれいに並べられた料理が写っていた。
「ここ、いいかも」
期待しながらページを読み進める。しかし、利用料金が見つからない。
「料金についてはお問い合わせください」
その一文だけが書かれていた。
美咲は電話をかけた。
「4月10日の夜、50名ほどで新入社員歓迎会を予定しているのですが、会場は空いていますか?」
電話口の担当者が予約状況を確認する。
「申し訳ございません。その日は終日ご予約をいただいております」
電話を切り、Excelに「空きなし」と入力した。
次の会場も満室。
その次は、希望する時間だけ空いていない。
4件目は電話がつながらない。
5件目は、着席では40人までだった。
6件目は50人収容できたが、駅から徒歩20分。
7件目は料理の提供がなく、ケータリングを別に手配しなければならなかった。
「50人入れる会場なら、どこでも同じだと思ってた……」
会場にはそれぞれ条件がある。
面積、レイアウト、設備、料理、利用時間、搬入経路、キャンセル規定。ホームページだけでは確認できないことも多い。
美咲はExcelに列を追加した。
会場名。
空き状況。
収容人数。
料金。
料理。
駅からの距離。
マイク。
スクリーン。
回答期限。
担当者。
備考。
列を追加するたび、画面は横に長くなっていった。
「50名入る」と「50名で開催できる」は違う
18件目に電話した会場は、希望日に空きがあった。
「シアター形式でしたら、最大80名様までご利用いただけます」
美咲の声が明るくなる。
「50人なら大丈夫ですね」
「着席でのお食事をご希望の場合、36名様までとなります」
「えっ?」
美咲は会場レイアウトについて、ほとんど理解していなかった。
シアター形式、スクール形式、島型、ロの字、立食、着席。
収容人数の欄に「80名」と書かれていても、どのレイアウトでも80名が入れるわけではない。テーブルやステージを設置すれば、利用できるスペースはさらに少なくなる。
前年の歓迎会では、丸テーブルを囲んで食事をしながら、新入社員の紹介映像を上映していた。
つまり必要なのは、単に「50名が入れる会場」ではない。
「50名が着席できて、前方にステージがあり、スクリーンが見えて、受付を設置できる会場」だった。
美咲はExcelの「収容人数」を削除し、「着席収容人数」と「立食収容人数」に分けた。
さらに、「ステージ設置後の収容人数」という列も追加した。
「イベントって、条件を決めないと探すこともできないんだ……」
最初の会場を予約したとき、美咲は会場担当者からの質問にほとんど答えられなかった。
立食か着席か。
スクリーンは必要か。
マイクは何本使うか。
ステージは設置するか。
当時は細かい質問だと思っていた。
しかし、あれはすべて、イベントに合った会場を判断するために必要な条件だったのだ。
正解が分からない比較表
午後3時を過ぎたころ、美咲のExcelには32の会場名が並んでいた。
空きがある会場は5つ。
しかし、料金の表示方法がそれぞれ違っていた。
A会場は、会場費と料理代が別。
B会場は、2時間のパッケージ料金。
C会場は、料理と飲み物込みの一人当たり料金。
D会場は、音響設備が有料。
E会場は、サービス料が別途必要だった。
単純に合計してみても、それが最終的な支払額なのか分からない。
美咲は電話で聞いた内容を、急いでメモに残していた。
「マイク2本まで無料」
「延長30分ごとに追加料金」
「料理は人数変更期限あり」
「プロジェクター持ち込み料?」
「最低保証?」
自分で書いたはずなのに、後から読むと意味が分からない。
さらに、会場から届いた見積書はPDF、Excel、メール本文と形式がバラバラだった。見積書の金額を比較表へ転記しているうちに、税込と税別が混在した。
どの会場が本当に安いのか。
どの会場なら、予定している歓迎会を実現できるのか。
情報は増えているのに、判断はむしろ難しくなっていった。

49本目の電話
時刻は午後6時40分。
オフィスには、美咲と数人の社員しか残っていなかった。
電話をかけた会場は、49件。
受話器を置くたびに、声から元気がなくなっていく。
「今日はもう帰ったら?」
先輩の木村が声をかけた。
「でも、明日の朝、部長に報告しないといけないので」
「一日で見つけなくてもいいんじゃない?」
美咲は首を横に振った。
「私が期限を見落としたんです。私が何とかします」
大学時代、苦しい練習から逃げたことはなかった。
ボールが床に落ちそうなら、考えるより先に飛び込んだ。
今回も同じだと思っていた。
会場が見つからないなら、見つかるまで電話をかければいい。
美咲は50件目の番号を押した。
「4月10日の夜、50名で利用できる会場を探しているのですが」
電話口の男性が答えた。
「少々お待ちください。確認いたします」
保留音が流れる。
美咲は祈るように受話器を握った。
やがて、男性の声が戻ってきた。
「お待たせいたしました。18時からでしたら、ご案内できます」
美咲は思わず立ち上がった。
「本当ですか!」
近くにいた社員が驚いて振り返る。
「着席で50名、ステージとスクリーンも設置可能です。駅から徒歩3分です」
条件は、ほとんど希望通りだった。
「お願いします。仮予約を入れてください」
今度こそ期限を見落とさないよう、美咲は電話をしながらExcelを開いた。
「仮予約の期限はいつでしょうか?」
「3営業日後の17時までです」
回答期限のセルを赤く塗り、社内カレンダーにも登録した。さらに、自分宛てのリマインドを前日と当日に設定する。
同じ失敗は、絶対に繰り返さない。
「なお、最低保証料金は80万円となります」
聞き慣れない言葉が続いた。
「最低……保証料金?」
「はい。当日のご利用金額が80万円に満たない場合でも、80万円を頂戴する契約です」
美咲は急いで計算した。
一人当たりの料理と飲み物が1万円。50人なら50万円。会場費や機材費を加えても、見積額は約68万円だった。
「見積もりは68万円ですよね?」
「はい。ただし、最低保証料金がございますので、ご請求額は80万円以上となります」
予算は前年と同程度の70万円。
それを10万円上回る。
また新しい問題が増えた。
それでも、ほかに条件を満たす会場は見つかっていない。
仮予約をしなければ、別の利用者に押さえられるかもしれない。
「……ひとまず、仮予約をお願いします」
電話を切ると、美咲は椅子に深く腰を下ろした。
会場は見つかった。
しかし、予算が足りない。
達成感よりも、疲労の方が大きかった。
机の上には、電話中に書いたメモが散乱している。Excelには50件分の会場情報。受信トレイには、見積書や会場資料が次々に届いていた。
もし最初から、開催条件に合う会場だけを比較できたら。
空き状況や料金、設備を、同じ項目で確認できたら。
50本も電話をかけずに済んだのではないか。
だが、美咲はまだ、その方法を知らなかった。
「頑張ればできる」の落とし穴
翌朝、美咲は高橋部長に会場候補を報告した。
「希望条件を満たす会場が一つ見つかりました。ただ、最低保証料金が80万円で、予算を10万円超えてしまいます」
高橋は見積書に目を通した。
「去年は70万円だったよね。同じくらいでできないの?」
「料理の内容を変更するか、機材を減らせないか、会場に相談してみます」
「分かった。なるべく予算内でお願いね」
美咲は見積書を受け取り、自席へ戻った。
50本電話をかけたことも、比較表を作ったことも、夜遅くまで会場を探したことも、高橋は知らない。
報告したのは、結果だけだ。
そして、その結果もまだ「予算超過」という問題を抱えている。
美咲はふと思った。
今回、自分は頑張った。
だが、本当に効率のよい進め方だったのだろうか。
経験がないから、とにかく電話をかけた。分からないことが出るたびに列を追加し、届いた情報を手作業で転記した。
努力はした。
けれど、努力の量と仕事の質は、必ずしも同じではない。
学生時代の練習なら、誰よりも走れば評価された。
イベント運営では、ただ走るだけでは足りないらしい。
「まずは、この10万円を何とかしないと」
美咲は見積書を開いた。
会場費。
料理費。
飲料費。
音響設備費。
映像設備費。
サービス料。
その一番下に、小さな文字で注意書きが並んでいる。
そこには、美咲がまだ理解していない費用が、いくつも書かれていた。
歓迎会まで、あと19日。
トラブルは、まだ始まったばかりだった。
今回の舞台裏から学ぶこと
会場探しの前に「開催条件」を整理する
会場を効率よく探すには、問い合わせを始める前にイベントの条件を整理しておく必要があります。
最低限、次の項目を確認しましょう。
- 開催日と利用時間
- 参加予定人数
- 着席または立食
- 希望エリアと交通アクセス
- ステージや受付の設置
- マイク、スクリーンなどの設備
- 料理と飲み物の提供方法
- 搬入・設営・撤去時間
- 予算の上限
- 仮予約期限とキャンセル規定
- 最低保証料金の有無
特に収容人数は、レイアウトによって変わります。「50名収容可能」という表記だけで判断せず、予定している形式で開催できるかを確認することが大切です。
見積金額だけで比較しない
会場によって、見積もりに含まれる項目は異なります。
会場費が安く見えても、音響・映像設備、サービス料、延長料金、持ち込み料などが加わり、最終金額が高くなることがあります。
比較する際は、同じ条件で実施した場合の総額を確認しましょう。
美咲が今回学んだこと
努力の量と、仕事の質は同じではない。
走り始める前に、まずゴールと条件を決める。







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