第1話 そのイベント、君が担当して

この連載について

突然、会社のイベント担当を任された、ごく普通の会社員・相原美咲。

経験もノウハウもないまま、Excel、メール、紙の進行表を頼りに準備を始めますが、会場予約の期限切れ、増え続ける修正、関係者との認識違い、そして本番直前のトラブル――。イベントの規模が大きくなるほど、彼女の前には新たな課題が立ちはだかります。

それでも美咲は、数々の失敗や仲間との出会いを通じて、イベントには人と組織を動かす力があることを知っていきます。やがてイベントプロジェクト管理ツール「MICE Joy」と出会い、仕事の進め方だけでなく、イベント担当者としての自分自身も大きく変わり始めます。

30人の小さな歓迎会から、日本最大級のコーポレートイベントへ。

『イベント担当になりまして。』は、一人の会社員がイベントとともに成長していく姿を描く、BizMICE初の連載ビジネス小説です。物語を楽しみながら、イベント運営で起こりやすい失敗や、プロジェクトを成功へ導くための実践的なヒントをお届けします。

※本作品はフィクションです。登場する人物、企業、団体および出来事は架空のものであり、実在するものとは関係ありません。

第1話 そのイベント、君が担当して

「相原さん、今年の新入社員歓迎会、お願いできる?」

その言葉を聞いた瞬間、相原美咲は、手にしていたボールペンを机の上に落とした。

「……私が、ですか?」

月曜日の午前9時15分。週初めの定例ミーティングが終わり、同僚たちが会議室を出ていくなか、総務部長の高橋が美咲を呼び止めた。

「そう。去年まで担当していた佐々木さん、先月退職しただろう。今年は新入社員も30人だけだし、それほど大がかりなものじゃない。会場を押さえて、食事を用意して、当日の進行を考えるくらいだから」

高橋は、まるで会議室の備品を発注するような口調で言った。

美咲は中学から大学までバレーボール部に所属していた。体力には自信がある。人と話すことも嫌いではない。困っている人を見れば、考えるより先に身体が動く。

しかし、イベントを企画した経験は一度もなかった。

「私、歓迎会なんてつくったことがありません」

「大丈夫、大丈夫。去年の資料が共有フォルダに入っているから。それを見ながらやればできるよ」

高橋はそのまま会議室を出ていった。

残された美咲は、一人でつぶやいた。

「それを見ながらって……どれを?」

自席に戻ると、美咲はさっそく共有フォルダを開いた。

「社内行事」というフォルダの中に、「歓迎会」「歓迎会_旧」「2025歓迎会」「歓迎会最新版」「歓迎会最新版2」という名前が並んでいる。

嫌な予感がした。

「最新版が二つあるんだけど……」

一つずつファイルを開いてみる。

参加者名簿、座席表、当日の進行表、会場の見積書、司会台本。必要そうな資料は一通りそろっていた。しかし、作成日も記載内容も少しずつ違う。

進行表では乾杯が18時10分。

司会台本では18時15分。

会場の見積書に書かれた人数は45人だったが、参加者名簿には52人の名前があった。

さらに、ファイルの余白には赤い文字でこう記されていた。

ケーキの件、要確認

誰に、何を確認するのかは、どこにも書かれていなかった。

美咲は昨年の担当者だった佐々木に電話をかけようとして、すぐに思い出した。

もう退職している。

「マニュアルはないのかな……」

共有フォルダを検索したが、出てきたのは「運営マニュアル_作成途中」というファイルだけだった。開いてみると、表紙の次のページには「当日の役割分担」とだけ書かれ、その先は真っ白だった。

体育会系の美咲は、考え込むよりも、まず動くことを選んだ。

新しいExcelを開き、思いつくままに準備項目を入力していく。

会場を探す。
参加人数を確認する。
案内メールを送る。
食事を決める。
司会を決める。
余興を考える。
座席を決める。
当日の資料をつくる。

8項目ほど書いたところで手が止まった。

「歓迎会って、ほかに何が必要なんだろう」

考えても分からない。

分からないなら、人に聞くしかない。

美咲は社内チャットを開き、同じ総務部の先輩である木村にメッセージを送った。

新入社員歓迎会を担当することになりました。
去年の準備について教えていただけませんか?

数分後、木村から返信が届いた。

私も詳しくないけど、まず会場じゃない?
去年と同じところでいいと思うよ。

なるほど。まず会場だ。

昨年の見積書に書かれたホテル名を検索し、宴会予約の窓口へ電話をかけた。

「4月10日に、50名くらいで新入社員歓迎会を予定しているのですが」

電話口の担当者は、落ち着いた声で希望時間や料理、会場レイアウトについて質問してきた。

立食か着席か。
スクリーンは必要か。
マイクは何本使うか。
ステージは設置するか。
受付台は必要か。
社名表示はどうするか。

聞かれるたびに、美咲の返事は同じだった。

「すみません。確認して、後ほどご連絡します」

電話を切るころには、メモ用紙が「要確認」の文字で埋め尽くされていた。

イベントとは、会場と食事だけを用意すれば開催できるものではないらしい。

それでも、会場は希望日に空いていた。

担当者から仮予約の申込書と見積書がメールで送られてきた。美咲はほっとして、そのメールを「歓迎会」というフォルダに保存した。

これで、最も大事な仕事は一つ終わった。

そう思った。

メールの末尾に、小さく書かれていた一文を見落としたまま。

仮予約期限は、本日から7日間となります。期限までにご連絡がない場合は、自動的に解除されます。


それからの一週間、美咲は社内の調整に追われた。

人事部に参加人数を確認すると、「まだ入社予定者が確定していない」と言われた。

役員秘書に出席予定を聞くと、「社長のスケジュール次第です」と返ってきた。

上司に予算を確認すると、「昨年と同じくらいで」と言われた。しかし、昨年の資料には、当初見積もりと最終請求書で30万円近い差があった。

何を決めようとしても、その前に誰かへの確認が必要になる。

美咲は毎日、Excelの準備表(WBS:タスク管理表)を更新した。

黄色は確認中。
青色は対応済み。
赤色は至急。

いつの間にか、表のほとんどが黄色になっていた。

しかも、メールで届いた変更をExcelに反映し忘れたり、チャットで聞いた内容をどこに保存したか分からなくなったりする。

最新版の参加者名簿は、自分のパソコンのデスクトップにあった。

予算案は共有フォルダ。

役員の出欠はメール。

新入社員のアレルギー情報は人事部とのチャット。

情報が、あちこちに散らばっていた。

美咲は毎晩、退社前に自分へメールを送った。

件名は「明日やること」。

しかし翌日になると、新しい依頼や変更が増え、「明日やること」は翌々日に持ち越された。

それでも美咲は走り続けた。

学生時代、厳しい練習を乗り越えてきた経験がある。苦しくても、動き続けていれば、いつかゴールにはたどり着ける。

そう信じていた。


仮予約の申込書が届いてから、10日が経った。

参加人数がようやく確定し、美咲はホテルへ電話をかけた。

「先日、4月10日の歓迎会で仮予約をお願いした相原です。正式に予約したいのですが」

電話口で、短い沈黙があった。

「相原様、大変申し訳ございません。仮予約の期限を過ぎておりましたので、予約は解除となっております」

美咲は、言葉の意味を理解するまでに数秒かかった。

「解除……ですか?」

「はい。ちょうど同じ日時に別のお客様から正式なお申し込みがあり、現在、その会場はご案内できない状況です」

背中から、さっと血の気が引いた。

「でも、もう社内には、そのホテルで開催すると伝えていて……」

「申し訳ございません。仮予約期限については、メールにも記載させていただいております」

美咲は急いで10日前のメールを開いた。

見積書の説明。
会場利用規約。
キャンセル料について。

そして、メールの一番下。

そこには確かに、仮予約期限が書かれていた。

見落としたのは自分だった。

「ほかの会場は空いていませんか?」

同じホテル内で空いているのは、予定よりはるかに小さな会議室だけだった。立食形式でも30人まで。社員や役員を含めれば、参加者は50人を超える。

電話を切ると、美咲はしばらく画面を見つめた。

歓迎会まで、あと3週間。

開催日時は社内に告知済み。

社長も出席予定。

そして、会場はない。

「まずい……」

小さな声が漏れた。

隣の席にいた木村が振り向いた。

「どうしたの?」

美咲は唇をかみ、それから顔を上げた。

叱られるかもしれない。イベント担当から外されるかもしれない。それでも、黙っているわけにはいかなかった。

「歓迎会の会場が……取れていませんでした」

木村の表情が止まった。

そのとき、美咲の社用携帯が鳴った。

画面に表示された名前は、「総務部長・高橋」。

恐る恐る電話に出る。

「はい、相原です」

「歓迎会の件なんだけど」

高橋の声は、いつもと変わらず穏やかだった。

「社長から要望があってね。今年は新入社員一人ひとりを紹介する演出を入れたいそうなんだ。できるよね?」

美咲は、会場から届いたメールを見つめた。

まだ何も始まっていないのに、イベントはもう、自分の手を離れて走り始めている。

「……はい。確認します」

そう答えることしかできなかった。

電話を切った美咲は、椅子から立ち上がった。

落ち込んでいる時間はない。

会場がないなら、探すしかない。

体育会系の意地というより、もはや反射だった。

美咲はジャケットの袖をまくり、検索画面を開いた。

「絶対に、間に合わせる」

それが、後に日本最大級のコーポレートイベントを任されることになる相原美咲の、最初の一歩だった。

今回の舞台裏から学ぶこと

仮予約は「予約」ではない

イベント会場の仮予約には、多くの場合、回答期限が設定されています。期限を過ぎると自動的に解除され、ほかの利用者へ案内されることがあります。

仮予約を行ったら、少なくとも次の項目を管理しましょう。

  • 仮予約をした会場と日時
  • 仮予約の回答期限
  • 正式決定に必要な社内承認
  • 会場への回答担当者
  • 期限前のリマインド日

大切なのは、期限を記録するだけでなく、「誰が、いつまでに、何を判断するのか」を明確にすることです。

美咲が今回学んだこと

イベントの仕事は、目の前の作業をこなすことではない。
期限と情報をつなぎ、次に起こることを先回りする仕事なの

次回予告

第2話 消えた会場と、50本の電話

歓迎会まで、あと3週間。社内への告知はすでに終わっている。しかし、肝心の会場がない。

美咲は新たな会場を探すため、片っ端から電話をかけ始める。ようやく見つけた一つの候補。しかし、そこには「最低保証料金」という、聞き慣れない条件が待っていた。