【イベント担当になりまして。】名もなき担当者が、日本最大の舞台をつくるまで Vol.7 200人のイベントは、Excel一枚では動かない
本連載は、企業のイベント担当者となった主人公・相原美咲が、数々の失敗や出会いを通じて成長していくビジネス小説です。登場する企業・人物・出来事はフィクションですが、イベントの現場で起こり得る課題をもとに構成しています。
「まず、このイベントで何を実現したいのかを決めさせてください」
創立30周年記念イベントの企画書を受け取った美咲は、反射的にそう答えていた。
参加者は200人。準備期間は4カ月。予算は800万円。
これまで担当したイベントとは、規模も責任もまるで違う。
以前の美咲なら、企画書を受け取った瞬間に会場を探し、見積もりを取り、余興を考え始めていただろう。
しかし今は違う。
「楽しかった」という感想だけでは、イベントの成功を説明できない。
そのことを、美咲は痛いほど知っていた。
「盛大にやってくれ」だけでは動けない
翌週、創立30周年記念イベントのキックオフミーティングが開かれた。
会議室には、社長、総務部長、人事部長、広報部長、そして美咲の上司である高橋が集まっていた。
「30周年だからね。社員の記憶に残る、盛大なイベントにしたい」
社長が口火を切った。
「会社の歴史を振り返る映像は必要ですね」
広報部長が続ける。
「永年勤続者の表彰も入れたいです」
人事部長が資料をめくる。
「取引先も何社か呼んだほうがいいんじゃないか」
総務部長が腕を組んだ。
要望が次々と増えていく。
美咲はホワイトボードに書き出しながら、以前感じたものと同じ不安を覚えていた。
映像、表彰、来賓、懇親会、記念品、社長挨拶、社員参加型企画――。
どれも間違ってはいない。
けれど、それらをすべて詰め込んだ先に、何が残るのだろう。
美咲はペンを置き、社長に尋ねた。
「今回のイベントが終わったとき、社員にどんな状態になっていてほしいですか?」
会議室が静かになった。
社長は少し考えてから答えた。
「この会社で働いてきてよかった、これからもここで頑張りたい。そう思ってもらいたいかな」
人事部長がうなずく。
「最近は部署を越えた交流が減っています。若手社員の定着も課題です」
広報部長も口を開いた。
「30年の歴史を振り返るだけではなく、これから会社がどこへ向かうのかも伝えたいですね」
美咲は、ホワイトボードの中央に大きく書いた。
過去を祝うだけでなく、社員が会社の未来を自分ごととして考える場にする。
「これを今回の目的にしませんか?」
社長はしばらく文字を見つめたあと、静かにうなずいた。
「それでいこう」
ようやくイベントの中心に、一本の軸が通った。

目的が決まっても、仕事は減らない
目的が決まると、美咲は成功を測るための指標も整理した。
- 会社の今後の方針を理解できた社員の割合
- 所属部署以外の社員と交流できた参加者の割合
- 自社への誇りや帰属意識の変化
- イベント後に新たな行動を起こした社員の数
「これなら、終わったあとに成果を説明できる」
美咲は少しだけ自信を感じていた。
しかし、その自信は翌日には消えていた。
イベントに必要な作業を書き出し始めると、Excelの行が際限なく増えていったからだ。
会場選定、レイアウト、招待者管理、出欠確認、ステージ設計、映像制作、音響、照明、司会者、運営スタッフ、受付、誘導、表彰対象者の確認、記念品、ケータリング、アレルギー対応、進行台本、リハーサル、緊急時対応――。
思いつくたびに行を追加する。
二日後、タスクは80を超えた。
だが、美咲には分かっていた。
これは完成したリストではない。
自分が思いついたものだけを並べたリストだ。
「抜けている作業があることに、気づけないのが一番怖い……」
美咲は画面を見ながらつぶやいた。
増殖するExcelとメール
準備が本格化すると、管理する資料も増えていった。
進行管理表、予算表、参加者リスト、会場比較表、映像構成案、席次表、制作物一覧、備品リスト。
社内共有フォルダには、似た名前のファイルが並んだ。
「30周年イベント進行表」
「30周年イベント進行表_修正」
「30周年イベント進行表_最新版」
「30周年イベント進行表_最新版2」
「30周年イベント進行表_確定前」
ある日の午後、人事部から電話がかかってきた。
「美咲さん、表彰者のリスト、昨日メールした最新版を見ていますか?」
「昨日のメール……少々お待ちください」
受信トレイを検索すると、同じ件名のメールが何通も表示された。
その間にも、制作会社からチャットが届く。
「オープニング映像の素材は、いつごろいただけますか?」
続いて会場担当者から電話が入った。
「レイアウトの決定期限が明日ですが、いかがでしょうか」
美咲は電話を肩に挟みながら、別の画面で資料を探した。
机の上には、手書きのメモと付箋が積み重なっている。
誰が、何を、いつまでに進めるのか。
どの情報が最新なのか。
何が遅れていて、その遅れがどの作業に影響するのか。
それらを把握しているのは、ほとんど美咲一人だった。

「その表、美咲さんしか分からなくない?」
夕方、高橋が美咲の席にやってきた。
「進捗はどう?」
「大丈夫です。たぶん」
口にした瞬間、美咲は自分でもおかしいと思った。
大丈夫な状態に、「たぶん」はつかない。
高橋は美咲の画面に表示されたExcelをのぞき込んだ。
セルには色がつき、コメントが入り、文字の一部は途中で切れていた。
「赤は遅れているタスク?」
「赤は最優先です。遅れているものはオレンジで、黄色は先方確認中です」
「青は?」
「私の担当です」
「じゃあ、白は?」
「まだ担当者が決まっていません」
高橋は少し黙った。
「その表、美咲さんしか分からなくない?」
図星だった。
美咲が休めば、誰も状況を説明できない。
美咲がメールを見落とせば、仕事が止まる。
担当者が増えるほど、確認と連絡の負担も増えていく。
これは管理しているのではない。
自分の記憶と気力・気合いで、かろうじて支えているだけだ。
ひとつの変更が、五つの仕事を動かす
さらに問題が起きた。
社長の海外出張が入り、イベント当日の開会時刻を30分遅らせたいという連絡が来たのだ。
「30分なら、何とかなるよね?」
総務部長は簡単に言った。
だが、開始時刻が変われば、会場利用時間、リハーサル、受付開始、スタッフ集合、ケータリングの提供時刻、映像・音響スタッフの稼働時間まで変わる。
場合によっては追加費用も発生する。
美咲は関係者へ一斉にメールを送った。
ところが、一人から返信が来るたびに、新たな確認事項が生まれた。
会場は対応可能。
司会者も問題なし。
しかし、運営スタッフの一部は終了時刻の延長に対応できない。
映像会社からは、機材撤収時間の再調整が必要だと言われた。
ケータリング会社からは、料理の提供品質を保つため、乾杯時刻を確定してほしいと連絡が来た。
たった30分の変更が、五つどころか十以上の仕事を動かしていた。
その日の夜、美咲はExcelを更新しながら思った。
「この規模を、今までと同じ方法で進めるのは無理かもしれない」
「イベント専用の管理ツール、使ってみたら?」
翌朝、美咲の机に、情報システム部の同期・佐伯がやってきた。
「昨日、ずいぶん遅くまで残っていたね」
「見られてた?」
「社内チャットが夜中まで飛んできたからね」
美咲は苦笑した。
佐伯は画面に並ぶExcelとメールを見て、首をかしげた。
「プロジェクト管理ツールは使わないの?」
「一応、Excelで管理してる」
「それはプロジェクト管理というより、表を作っているだけじゃない?」
痛いところを突かれた。
「普通のプロジェクト管理ツールも考えたんだけど、イベント特有の作業を一から登録するだけで大変そうで」
「じゃあ、イベント専用のものを使ってみたら?」
「イベント専用?」
佐伯は、美咲のパソコンで一つのサービスを検索した。
画面に表示された名前は――。
MICE Joy。
イベントの概要や開催条件を入力すると、準備に必要なタスクとスケジュールの作成をAIが支援する。担当者や期限を設定し、進捗や関連資料を一つの場所で管理できるという。
美咲は半信半疑で画面を見つめた。
便利そうには見える。
だが、これまで何度も新しいツールに期待し、結局は入力作業が増えただけという経験もあった。
「本当に、イベントのことが分かるのかな」
「分からなければ、使わなければいい。でも、このExcelを4カ月使い続けるより、試す価値はあると思うけど」
画面の横には、色分けされた無数のセルが並んでいた。
美咲はしばらく迷ったあと、MICE Joyの新規プロジェクト作成画面を開いた。

主催者名。
催事名。
開催日時。
イベント種類(→周年記念 を選択)。
開催形態(→臨場 を選択)。
入力欄を一つずつ埋めていく。
最後に、美咲は「登録完了」ボタンの上で指を止めた。
これで、本当に何かが変わるのだろうか。
半信半疑のまま、美咲はクリックした。
数秒後、画面にタスク一覧(WBS)が表示された。
美咲は思わず、椅子から身を乗り出した。
自分のExcelにはない項目が、いくつも並んでいた。

次回予告
Vol.8「AIがつくった100のタスク」
MICE Joyが提示したのは、美咲が想定していなかった準備項目の数々だった。
しかし、タスクが見えるようになっただけで、イベントが完成するわけではない。
会場、スタッフ、映像、音響、ケータリング――。
次に美咲を待っていたのは、必要な人・モノ・サービスを「誰に頼むか」という、新たな壁だった。







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